北浜っ子


写真は北浜の交差点にある大阪証券取引所です。手前は難波橋(別名ライオン橋) 像は五代友厚氏(初代証券取引所、初代大阪商工会議所 代表)
これとよく似た像が確か鹿児島市にあった記憶があります(五代友厚氏は鹿児島出身者のはず・・)
私は「北浜っ子」と呼ばれてもよいほどこの地には縁があります。
・大手前高校時代(大阪城正面 大阪府庁の隣)15歳〜18歳
(3年間)
・タナベ経営時代 北浜3丁目、大阪グリーンビル 29歳〜40歳
(12年間)
・ICO時代 北浜3丁目 北浜カタノビル 40歳〜62歳
(22年間)
・ICO時代 東高麗橋1丁目 62歳〜現在
(4年間)
長い間、証券マンでもないのに私はこのあたりを行ったり来たりしています。
昔の北浜は立会いのセリ方式だったのでセリ人が、手を上げて行なってましたが、今は電子化のためか人間があまりいなくなったのか、その筋の人の往来はめっきり減りました。往来する人も株関係かどうか今は、さっぱりわかりません。
昔は来北浜の景気、不景気はすぐわかりました。昼食時、近くの食堂で社員の会話を聞いていると景気がよければボーナスの話や、選ぶ注文の昼食のメニューでわかり、景気が悪くなれば食堂の経営者のおばちゃんの声でわかりました。「さっぱりやなー この頃・・・・」
先輩はいいました。
「株屋のビルの大修理や建て替えが始まると株の相場はピーク、後は下り」
「北浜の街に秋でもないのに冷たい風が吹き、落ち葉が舞う風情の時に株は買い」とそして
私が今も耳の奥底にある言葉があります。
「北浜に(株の市場に)女がのさばり出したら株は売れ!」
04年〜06年頃に「主婦の私でも株で稼いだ!」と言うような本が出版されていました。
株屋の店頭には「女性対象、初心者の株知識」なるセミナーも開催されていました。特に株式の教室がやたらとありましたね・・・当時は
あの株のカリスマ主婦、今頃どうされているのでしょうか・・・自宅でパソコン駆使してデイトレーターの真似事をしていた方は・・・
私の好きな世界第二位のお金持ち(一位はビルゲイツ氏)
ウオーレン、バフェット氏はこう言っている。
「他の人が欲張っている時は、恐れを抱き、他の人が恐怖にさいなまれている時は、強欲になること」



