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何十年ぶりかの長崎、決勝別館、

家族全員で長崎のハウステンボスに行く計画を立てました。

一泊目は長崎市内にしようとホテルを取りました。
長崎は私がコンサルタントをスタートした時、今のリンガーハットの前身である、とんかつ浜勝、卓袱料理浜勝別館に大阪より訪問した懐かしい所です。

 

その頃は、長崎市内に出張しても浜勝の本部へ訪れるだけで観光地に訪問することのなかつた私にとって、今回は、行きたい所だらけでしたが、中々全部で10人の家族ではスピードピッチが異り無理でした。


夜食は勿論、郷土料理の卓袱料理の浜勝別館の和室を予約しておりました。
思案橋の交差点でタクシーを降りて案内人役として歩んでいると、

とんかつ浜勝の店頭で、米濱会長と秘書の方が 店長らしき人にお店のチェックをして指示を出しておられるではありませんか!




いつもは東京本社で超多忙な人が・・・・・??と思い近づくと まさしく米濱会長でした。秘書から私が長崎に来る事を知り、来たという。

普段は親爺の偉大さを理解していない、子供や孫達も 長崎チャンポンのリンガーハットの創業者が来られていることを知り、少しは私の値打ちもわかつたようです。




夜の思案橋、多くが変貌していましたが、カステラの福砂屋本店は昔日のままでした。
もっとそぞろ歩きも、飲み屋の一軒でも訪ねてしたかったのですが・・・・



30年ぶりにハウステンボスに行ってきました。 私の行った時は、オランダ村と云われていましたが、すっかり見違えるように立派になっていました。
オランダ村として、華々しく開園したのは36年前の昭和57年です。
当時、売れっ子評論家、竹村憲一氏が、これからは大レジヤー産業が大きな産業になると誉めちぎっており、ゴルフ場、遊技場、テーマパーク、リゾートホテル等々銀行融資の元にどんどん造られました。

10
年後にはこれらがバブル泡であったと称され、全国でこれらの施設は飛んでしまいました。
このハウステンボスを造るリーダーだったのは、忘れもしない神近義郎なる人物です。
新聞、経済雑誌に 時代の寵児として紙面を賑わせたのです。
これらの資金は彼の話術で、大銀行はせっせと出したのです。
酒井田柿右衛門の先生の会でお会いしたことがありましたが、確かに変なオーラがでていた。

2003
年には倒産してしまい、跡を野村証券が肩代わり、内心気の毒にと当時は思ました。証券会社や金融会社では再建はできるはずなしと思ったからです。
HIS
の沢田氏がトップに着かれ、今日の盛況ぶりは沢田氏の手腕が凄いものであることを証明していますね。

感心した事
施設が充実している。
アクセスが悪い、しかし、人を集める。
オランダ、欧州の雰囲気、しつかりと出ている。
LED
、マッピグ、バーチヤル、今日の流行りものはすべてある。
チューリップの揃え方がすごすぎる、これが終ればバラでしょうか!
建物がすべて張りぼてでなく本物 ? くさい。
歌劇団まで作り、歌も踊りも本物。

宿泊はホテルヨーロッパかホテルアムステルダムがお薦めです。

 

 

 






私の東京での定宿は 九段下のグランドパレスホテルです。
この九段下の交差点を100mのぼれば 田安門、江戸城の北の端になります。
何時でもこの田安門はくぐれます。

武道館を左手に見て、奥にどんどん進めば 植物の種類も多く、散策にはもってこいです。
そのまま進むと 国立近代美術館が左手に見えますが そのまま皇居に向っていると北桔橋門に入って行きます。


正に江戸城に入れるのです。
簡単に入れるのです。江戸城天守台跡があるのです。

写真にみえる芝生の広場、なんとここは大奥のあった所です。

江戸城  大奥のあと

江戸城 天守台跡

 


私の事務所は、船場の真ん中 江戸時代から薬屋の町道修町(どしょうまち)にあります。東に歩いて堺筋 それを北に歩くと中の島に掛る難波橋、上流にのぼれば天神橋、この橋から天満橋と桜の綺麗な川端が続きます。
寒い冬から開放される四月は、良い季節で日本人として生れてきた幸福感にひたるのは私だけでしようか?

大川端他のさくら



日本ーのデキシージヤズバンド、デキシーセインツと言っても何人の人がその存在を知っているであろうか?
外山喜雄.恵子夫婦で24年間活動されておられるのですが、音楽演奏だけでなく、夫婦がニューオリンズで若き日に、デキシージヤズを学んだ、その地の子供達に、非行に走る子供に、「銃からトランペットを! 」と日本でルイ・アームストロング協会を設立し、今日では 中古楽器が850点も越えて海を渡っているのです。

2005
年には 外務大臣賞

2012年には 国家戦略大臣賞

昨年は、第一回ジャズ大賞を受けておられる。


自分達が食うのにいっぱいの中で、社会奉仕にもエネルギーを注がれる姿にはいつも感服しています。

外山喜雄氏と大学時代からの知人ですが、特に夫人の恵子さんとは、長いお付き合いをさせていただいています。

女性のバンジョー プレイヤーは少いのでは・・・・


勿論、喜雄のトランペットも良いですが 彼も我々と同じ年で、だんだんと声も顔もサッチモに似てきたのはなぜかな?・・・・・


5
25日の私達の会にゲスト演奏をしていただく予定にしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外山喜雄とデキシーセインツ

 

ジャズの中でも一番楽しい形のジャズ、“ジャズの原点”とも言われるデキシーランド・ジャズ!!

 

外山喜雄デキシーセインツは、ジャズ夫婦外山喜雄、恵子を中心に結成された日本一のデキシー・ジャズ・バンド。 

 

外山夫妻は早稲田大学のジャズ研究会ニューオリンズ・ジャズクラブで知り合い、1964年来日公演した“サッチモ”ことルイ・アームストロングの楽屋に忍び込みラッパを吹かせて貰った事がきっかけで、夫婦でブラジル移民船に乗り込み“ジャズの故郷”ニューオリンズへ行き5年間ジャズ武者修行。 

 

帰国後、外山喜雄とデキシーセインツを結成。世界のジャズ祭、テレビ、ライブスポット等で活躍すると共に1983年から23年間は東京ディズニーランドにも出演。あらゆる世代に楽しまれるジャズが大人気だ。 

 

1994年外山夫妻は、日本ルイ・アームストロング協会を設立、ジャズを与えてくれたニューオリンズとアメリカへのお礼の気持ちを込め、ニューオリンズの子供達への楽器プレゼントの運動を進めている。この運動により、2005年外務大臣表彰を受ける。 

 

ニューオリンズ市名誉市民、 20113月の東日本大震災を知ったニューオリンズから、日本への恩返しにと、津波で楽器をなくした気仙沼の子ども達のジャズバンド、スウィング・ドルフィンズに全バンドの楽器が贈られ大きな話題となった。2012年、国家戦略大臣感謝状を受ける。2013年夏には、ニューオリンズから贈られた楽器で復活したドルフィンズにのニューオリンズ訪問を

実現させた